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おもしろくてお役にたつタクシー専門情報紙

T君の道草

毎月10日・25日発行

タクシー日本新聞社

編集長の道草

田中一村に出会う旅(3-2)

 このような無為徒食の生活に精神的にも参ってきている中で、自身の精神と生活の正常化を果たすべく、意を決してこの生活から脱出するのである。何のあても特技もないということで、とりあえず新聞広告の求人欄に目をやりながら職探しに乗り出した。朝日新聞の小さな広告をみて応募したのが、タクシー専門紙のK社であった。24歳の春である。最初に応募した会社で、25年間在籍することになるとはその時は思いもよらないことであった。
 アルバイトの経験はあっても定職に就いたことのない青二才。まして世間をナナメから見てすねていた若者に社会人としての常識などあろうはずがなかった。曲がりなりにも社会人であり続けられたのは、25年間の長きをK社に勤め続けたからであろう。それも平成15年3月末に退社し、翌年の平成16年の2月にはタクシー専門情報紙「タクシージャパン」を創刊した。
 以来、夢中でタクシージャパンの製作にまい進した。今までにないタクシー業界紙を目指す。タクシー専門情報紙の新しい地平線を切り開く、などと高ぶる気持ちを抑えきれないまま過ごしたこの間であった。しかし、創刊1年を経過し、2年目を向かえ、来年は3年目を迎えるという昨年後半に心境の変化が出てきた。
 「読者の魂を揺さぶるタクシージャパンを作りたい」、「鼻の奥がつんとするような話題や目からうろこが落ちるような特集をやりたい」などと口走るようになった。気持ちだけが先走り、精神的に危ない兆候といえた。そのことを自覚もしていた。自分が作り得るタクシージャパンはどのようなものなのか、客観的かつ具体的な目指すべき方向性が示されなければならない、と思った。その方向性を確立するには、不安や孤独に揺れる脆弱な精神で成し得ない。それを支え補う何かが必要であった。
 その何かとは? 
 薄々気づいていたことだが、自分の精神のよりどころがないのである。その何かとは、そのよりどころに他ならない。急速に孤高の画家・田中一村に傾倒していく自分を感じていた。



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田中一村に出会う旅(3-1)

 筆者は、一浪して京都のある私立大学に入学したのであるが、大学には、数日しか通わず、今で言うところのニート、あるいはプー太郎としてぶらぶらしていた。ただ、ぶらぶらしていたというより、世間からドロップアウトして、出口の見当たらない穴倉に入っていた。
 家出をして尼崎総合文化センター裏のボロアパートに身を潜めていた。家賃5000円共同便所で風呂はもちろんなし。夏は、西日があたり暑いのを通り越して狂気の日照り。なぜ、そんなところに身を潜めたのか? それは、総合文化センターに尼崎一の図書館があったからである。毎日、図書館に通い、本を読み、夜は、阪神尼崎駅周辺の居酒屋で酒を飲む、お金がなくなるとアルバイト、そんな生活をしていた。
 図書館に通っていたからといって何か研究する課題があるわけでなし、そこにしか居場所がない、そんな感じで通い詰めた。時間だけたっぷりとあった。アメリカ文学のコーナーでその本棚の端から順番に読む、というようなこともした。
 特に印象に残ったのは、アーネスト・へミングウェイやパール・バックの作品。生命力旺盛で、力強く、かつ感動的であった。一方、印象深いのは、スコット・フィッツジェラルドの「グレイト・ギャツビー」で映画の題名「華麗なるギャツビー」でヒットした小説である。題名どおりの華麗な映画のイメージと小説とは異なり、また、自分の4畳半の安アパートでその図書館から借り出した本を段ボール箱の上において、そして真夏、パンツ一丁とタオルを頭に巻いて、西日を受けて噴出す汗を拭きながら、くらくらする頭で文字を追い続けた。この小説はなんとしても読破するんだと、意地になっている自分の姿をいまもまぶたに浮かぶ。小説の内容をすっかり忘れてしまっているにもかかわらず、けんか腰で本を読んだのは後にも先にもあの時だけであったが、へとへとに成りながらも一応、最後までページを繰ったのであった。



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