編集長の道草
4.5本?映画鑑賞
6月、7月と月間2本の映画鑑賞のペースになっておりました。色々言い訳はありますが、言い訳は聞き苦しいもの。やめにしときます。
で、なんで9月が4.5本の映画鑑賞なのか。そも4.5本とは中途半端。いかな次第なのか?
それは、いつものことながら映画を観る前には事前にどんな映画かそのあらすじをインターネットで検索しております。そして、これなら観てみよう、ということで映画館に足を運ぶのですが、この映画には、だまされた気分で怒りさえ覚えました。

結構、多くの方が観賞されたのではないかと思いますが、その映画の題名は、「ブラッド・ダイヤモンド」です。事前に調べた時には、ダイヤモンドの採掘現場で強制労働させられている主人公がとても大きなダイヤを隠し持って脱出するという筋書きで、ちょっとしたサスペンス映画でドキドキ物と思っていたのでした。それがとんでもない、映画が始まって5分も経たないうちに、平穏な村をジープやトラックで乗りつけた軍隊が、女子供を見境なく虐殺するのです。
その残虐なこと。訳もわからずにこんな残忍な場面を見せられて脈拍が高まり、体が硬直してしまいました。で、なにやら斧で子供の手を切り落とそうとする場面でとうとう耐えられなくなり逃げるように映画館を出た次第です。しばらくその場面が脳裏を離れず、気分が優れないままでありました。その後は、「こんな映画の作り方はない。それならそうとあらすじにこのことを書いておくべきだ。心臓が弱い人にこんな場面を見せたら取り返しのつかないことになりかねない」と怒りがこみ上げてきたものです。
ということで0.5本としましたが、それも疎ましい話しです。やはりこんな映画は観なかったことにして、今月は4本ということにします。
【ラブソングが出来るまで】

80年代に爆発的な人気を博した5人組ポップグループのメンバーが主人公。解散後は、ソロアルバムも泣かず飛ばずで過去のスターになっていた。そんなある日に若者に人気のシンガーから曲の依頼が入る。10年ぶりの曲つくりで作詞が出来ない。そこに植木係りとして雇った女性に作詞の才能があることに気付く。
この女性と主人公が恋に落ちていくのだが、少々大人のしゃれた物語で、結構、この手のラブ・コメディーは気分が明るくなっていいものであります。ラストの胸キュンはロマンチックで微笑ましい。
【華麗なる恋の舞台で】

1938年ロンドンが舞台。人気女優の主人公が満たされながらも変化のない生活にうんざりし、親子ほど若い青年に恋に落ちる、というストーリー。この青年には別の恋人が出来て、この青年の恋人がドラマの結末で主人公に舞台の上で大恥をかかせられるという筋書き。女性の嫉妬心の強さ、奥深さを描き、「弱き者、なんじの名は女」ではなく、「げに恐ろしき者、なんじの名は女」なんて書けば、全女性から顰蹙を買うのは必至。ながら敢えて左様、記憶にとどめておきます。
【善き人のためのソナタ】

1984年、東西冷戦後のベルリンが舞台。国家保安局員が主人公。劇作家とその恋人が反体制的であるという証拠集めを命令される。盗聴を繰り返しながら、次第に劇作家と、女優との自由な思想や芸術への考え方などに影響を受けて、この劇作家を影から擁護する。その結果、出世を棒に振ってしまうが、新しい人生に目覚めていく、というもの。
暗くて地味な映画だったが、見終わった後にすがすがしい気分になりました。筋書きを事前に読んだときは恐い映画かも、と少し引いていたのですが、そんなことはない。厳しい社会主義時代の東ドイツの現実は感じられましたが、それよりも人の持つ根源的な自由な精神、その発露が芸術とすれば、自由を愛し、芸術を愛し、人を愛していくことは、この上ないことだということでしょうか。そんな感慨を抱きました。
【純愛】

小林桂子さん主演の日中合作映画。筆者の世話になっている印刷会社の二代目Y氏が事務所に訪ねてきたときに、準主役のヤスタカ氏が友人であるという話を聞きました。一度機会があればみに行ってやってください、という話しでした。で、さっそくその日の夕刻に銀座のシネパトスへ行きました。
映画は、中国残留孤児の物語で戦争という大きなうねりに翻弄され、傷つき、別れていく、悲しい内容です。この映画を観る前に、「純愛」という題名にいささか抵抗がありました。この厳しく悲しい物語なのに何故、「純愛」なのか。題名に「純愛」を掲げているのは、よほどの独りよがりの映画なのか、反対によほど確信を持って訴えるものがあるのか、いずれにしても映画を観てから考えようと思いました。
映画を観終わった感想は、なるほど「純愛」との題名とつけた意味が分かるような気がしました。筆者などは、物事を真っ直ぐに見ないで、斜めから観る癖が強く、戦争や争いが人の心にある愛の力で克服できると考えることに無理を感じておりました。主役で製作者の小林桂子さんは、このテーマを真正面から取り組み真正面から愛が人を救うと訴えかけています。その純な小林桂子さんの気持ちがこの映画を支配しています。
映画を観終わって驚きました、舞台あいさつの日でもないのに、出口で小林桂子さんとヤスタカ氏がならんで一人ひとりに握手をしていました。この映画を全国の多くの人に観てもらいたいという熱意のなせる業でありましょう。握手させたいただいた小林桂子さんの手は、華奢でどこにこの映画を製作する馬力が潜んでいるのか、と不思議に思いました。ヤスタカ氏はこの映画が初出演だそうですが、これからの映画界になくてはならない俳優になる才能を有していると感じました。
それにしてもブラッド・ダイヤモンドの映画製作者には、愛がないよ。もういいか。
で、なんで9月が4.5本の映画鑑賞なのか。そも4.5本とは中途半端。いかな次第なのか?
それは、いつものことながら映画を観る前には事前にどんな映画かそのあらすじをインターネットで検索しております。そして、これなら観てみよう、ということで映画館に足を運ぶのですが、この映画には、だまされた気分で怒りさえ覚えました。

結構、多くの方が観賞されたのではないかと思いますが、その映画の題名は、「ブラッド・ダイヤモンド」です。事前に調べた時には、ダイヤモンドの採掘現場で強制労働させられている主人公がとても大きなダイヤを隠し持って脱出するという筋書きで、ちょっとしたサスペンス映画でドキドキ物と思っていたのでした。それがとんでもない、映画が始まって5分も経たないうちに、平穏な村をジープやトラックで乗りつけた軍隊が、女子供を見境なく虐殺するのです。
その残虐なこと。訳もわからずにこんな残忍な場面を見せられて脈拍が高まり、体が硬直してしまいました。で、なにやら斧で子供の手を切り落とそうとする場面でとうとう耐えられなくなり逃げるように映画館を出た次第です。しばらくその場面が脳裏を離れず、気分が優れないままでありました。その後は、「こんな映画の作り方はない。それならそうとあらすじにこのことを書いておくべきだ。心臓が弱い人にこんな場面を見せたら取り返しのつかないことになりかねない」と怒りがこみ上げてきたものです。
ということで0.5本としましたが、それも疎ましい話しです。やはりこんな映画は観なかったことにして、今月は4本ということにします。
【ラブソングが出来るまで】

80年代に爆発的な人気を博した5人組ポップグループのメンバーが主人公。解散後は、ソロアルバムも泣かず飛ばずで過去のスターになっていた。そんなある日に若者に人気のシンガーから曲の依頼が入る。10年ぶりの曲つくりで作詞が出来ない。そこに植木係りとして雇った女性に作詞の才能があることに気付く。
この女性と主人公が恋に落ちていくのだが、少々大人のしゃれた物語で、結構、この手のラブ・コメディーは気分が明るくなっていいものであります。ラストの胸キュンはロマンチックで微笑ましい。
【華麗なる恋の舞台で】

1938年ロンドンが舞台。人気女優の主人公が満たされながらも変化のない生活にうんざりし、親子ほど若い青年に恋に落ちる、というストーリー。この青年には別の恋人が出来て、この青年の恋人がドラマの結末で主人公に舞台の上で大恥をかかせられるという筋書き。女性の嫉妬心の強さ、奥深さを描き、「弱き者、なんじの名は女」ではなく、「げに恐ろしき者、なんじの名は女」なんて書けば、全女性から顰蹙を買うのは必至。ながら敢えて左様、記憶にとどめておきます。
【善き人のためのソナタ】

1984年、東西冷戦後のベルリンが舞台。国家保安局員が主人公。劇作家とその恋人が反体制的であるという証拠集めを命令される。盗聴を繰り返しながら、次第に劇作家と、女優との自由な思想や芸術への考え方などに影響を受けて、この劇作家を影から擁護する。その結果、出世を棒に振ってしまうが、新しい人生に目覚めていく、というもの。
暗くて地味な映画だったが、見終わった後にすがすがしい気分になりました。筋書きを事前に読んだときは恐い映画かも、と少し引いていたのですが、そんなことはない。厳しい社会主義時代の東ドイツの現実は感じられましたが、それよりも人の持つ根源的な自由な精神、その発露が芸術とすれば、自由を愛し、芸術を愛し、人を愛していくことは、この上ないことだということでしょうか。そんな感慨を抱きました。
【純愛】

小林桂子さん主演の日中合作映画。筆者の世話になっている印刷会社の二代目Y氏が事務所に訪ねてきたときに、準主役のヤスタカ氏が友人であるという話を聞きました。一度機会があればみに行ってやってください、という話しでした。で、さっそくその日の夕刻に銀座のシネパトスへ行きました。
映画は、中国残留孤児の物語で戦争という大きなうねりに翻弄され、傷つき、別れていく、悲しい内容です。この映画を観る前に、「純愛」という題名にいささか抵抗がありました。この厳しく悲しい物語なのに何故、「純愛」なのか。題名に「純愛」を掲げているのは、よほどの独りよがりの映画なのか、反対によほど確信を持って訴えるものがあるのか、いずれにしても映画を観てから考えようと思いました。
映画を観終わった感想は、なるほど「純愛」との題名とつけた意味が分かるような気がしました。筆者などは、物事を真っ直ぐに見ないで、斜めから観る癖が強く、戦争や争いが人の心にある愛の力で克服できると考えることに無理を感じておりました。主役で製作者の小林桂子さんは、このテーマを真正面から取り組み真正面から愛が人を救うと訴えかけています。その純な小林桂子さんの気持ちがこの映画を支配しています。
映画を観終わって驚きました、舞台あいさつの日でもないのに、出口で小林桂子さんとヤスタカ氏がならんで一人ひとりに握手をしていました。この映画を全国の多くの人に観てもらいたいという熱意のなせる業でありましょう。握手させたいただいた小林桂子さんの手は、華奢でどこにこの映画を製作する馬力が潜んでいるのか、と不思議に思いました。ヤスタカ氏はこの映画が初出演だそうですが、これからの映画界になくてはならない俳優になる才能を有していると感じました。
それにしてもブラッド・ダイヤモンドの映画製作者には、愛がないよ。もういいか。
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