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T君の道草

毎月10日・25日発行

タクシー日本新聞社

編集長の道草

連載特集:日本交通の栄光と挫折・川鍋一朗研究 No.6

心の拠り所は家族、中でも母親の存在!
皇室や政・財界につながる華麗なる閨閥

【タクシージャパン No.131号(09.10.10日号)より転載】

 前号では、故川鍋秋蔵氏の日本交通王国完成までの苦難の道のりを、駆け足で振り返った。現在の日本交通は、かつて東急電鉄の故五島慶太氏が支配し、新規設立した日東自動車改め日本交通をルーツとしていることが分かった。戦時下でやむなく川鍋自動車商会を企業合同に参加させるのだが、敗戦の混乱の中で資本集中排除法により、好運にも秋蔵氏は日本交通のオーナー経営者の座を射止めるのであった。

 そして秋蔵氏は、破竹の勢いでハイヤー・タクシー事業を核に三十社を超える多角化戦略を成功に導き、押しも押されもせぬトップ企業群を構築するのであった。その歩みとともに、ごく日本の支配階層である政・財界の主要人物との結びつきを強めていった。その結果、皇室の外戚や財閥筋や経済界に華麗なる閨閥を張り巡らすことになるのである。

 その孫の川鍋一朗氏は、アメリカナイズされた経営学を習得しておきながら、なにやら浪花節的な「創業家」「三代目」「家業」などの文言をしきりに多用するのはなぜだろうか。これらの文言は、多くの資産を失った一朗氏にとって拠り所とする、唯一の“無形資産”なのかもしれない。

一朗氏につながる華麗なる人脈を縦糸に、そして等身大の自分と向き合う氏の揺れる心を横糸に、日本交通のいまに迫る。 (文責=高橋正信)


●藤山コンツェルン
川鍋一朗氏は、母方の家系を「“私”の部分で、私の人間形成に大きな影響を与えている」と言っている。その母方の家系を見ていく。一朗氏の母親は、旧姓広瀬為宇さん。そのお母、つまり一朗氏の祖母の広瀬櫻子さんは、藤山コンツェルンの創始者藤山雷太氏の二女。長男は、外務大臣も務めた藤山愛一郎氏で、同コンツェルンの二代目。政権の座に行く度か挑戦するが果たせず、「絹のハンカチを泥まみれにした」といわれた。



 藤山雷太氏は、現在の佐賀県伊万里市の庄屋を務めた藤山覚左衛門、テル夫婦の三男として、文久三年(明治元年の六年前)に生まれている。長崎師範学校を卒業と同時に助教諭となり、三年間教鞭をとった後に上京して、慶応義塾で福沢諭吉氏に学んだ。明治二十年に二十五歳で卒業して、同年に長崎県会議員に当選している。その後に県会議長として長崎の外国人居留地の借地料据え置き問題を解決に導くのだが、その時に福沢諭吉氏を介して福沢氏の姉の子である中上川彦次郎氏(山陽鉄道社長)の知遇を得て、黒田清隆、大隈重信、鳩山和夫の各氏ら明治の宰相や衆議院議長などを務めた錚々たる政界人と知り合うとともに、中上川の夫人の妹・みねさんと結婚するのだった。この結果、藤山家はいわば福沢諭吉氏と縁戚関係になるのだった。

 一朗氏が父達郎氏と同じく慶応大学出身で、創業者の秋蔵氏も藤山雷太氏も慶応大学の評議委員を務めるなど、当たり前といえば当たり前のように“慶応閥”である。

 藤山雷太氏は、明治二十四年年末に二十九歳で実業家を志し上京。翌年に三井銀行に入社し、若いながら抵当係長という重要ポストにつき、財界に広くかかわる人脈を持つのだった。明治四十二年に日本初の商業銀行を作り、五百近くの企業の創設に携わり「日本資本主義の父」といわれた渋沢栄一氏に乞われて大日本精糖の社長に就任し、贈賄事件後の倒産寸前の状態を二年余りで改善し、再建を果たして経営手腕を発揮した。その後、大正十四年に東商・日商の会議所会頭に就任し、押しも押されもしない財界の重鎮となるのだった。(「藤山雷太伝」藤山愛一郎発行者、千倉書房製本、非売品、昭和十四年発行に詳しい)


●エリートなどではない
 昨年、ある就職情報サイトのQ&Aで、一朗氏は次のように語っている。
Q:経歴を見ると、まさに“エリート”。近寄りがたいと思われることも多いのでは?
A(一朗氏):一度も受験を経験したことがないのがコンプレックスで、マッキンゼー時代の後輩や部下は東大、京大、一橋といったキレ者ぞろい。周囲は頭のいい人だらけで、そんな集団の中でむしろ引け目を感じていたぐらいです。(略)入社前の面接で人事の人には前もってこんな話をしました。「長くて五年経ったら、マッキンゼーを辞めて家業を継ぎたい」と。そうしたら人事の方は、「それも面白いプランですね。期限を決め、その間全力で頑張り、会社に貢献してください」と言ってくれました。

 ここから見えてくるのは、一朗氏は慶応大学をエスカレーターで入り、そしてアメリカ留学でMBAを取得していることや、マッキンゼー入社に際して試験を受けたことが無いと、正直に自らを開陳していることである。

 そしてマッキンゼー時代を振り返り、「結局、目立った成果を出せずに退職。体調を崩し、二ヶ月間休職した」、「仕事で褒められたことは、一度もない」、「マッキンゼー時代は、私にとって大きな挫折の経験」と述懐。「近寄りがたいエリート」とはほど遠い、悩める青年の姿であったことを自認している。

 たしかに一朗氏の母親の母親の母親である人、つまり曾祖母の姉の夫の母親が福沢諭吉の姉に当たる。実にややこしいが、一朗氏はれっきとした慶応義塾の創始者、福沢諭吉氏の親戚である。母方の家系を「“私”の部分で、私の人間形成に大きな影響を与えている」と言っている所以は、どうもこの辺にあるのかもしれない。




●皇室の外戚にも
 一方、一朗氏は、「川鍋の家系が私の社長としての“公”の部分を形作っている」としている。華麗なる閨閥ということでは母方もたいしたものだが、父方がもう一段たいしたものといえる。(「閨閥 改定新版 特権階級の盛衰の系譜」神一行著、角川書店、平成十四年発行に詳しい)

 秋蔵氏は妻ふさえさんとの間に、二男四女をもうけた。その内、長男達郎氏は先述したとおり、藤山雷太の孫娘を嫁にもらい、一朗氏が誕生している。次女の明子さんは、東急電鉄出身で小田急電鉄の創始者あり、初代社長を務めた安藤楢六氏の子息、信正氏に嫁いでいる。

 そして三女邦子さんは、東京ガスの元会長である安藤邦夫氏に嫁いでいる。安西邦夫氏の父親は、同じく東京ガス元会長の安西浩氏、そしてその安西浩氏の弟である安西正夫氏(元昭和電工会長)の息子である安西孝之氏は、元日清製粉名誉会長であった正田英三郎氏の娘恵美子さんを嫁にもらっている。この恵美子さんの姉が、今上天皇と結婚した美智子皇后ということになる。

 したがって安西家は皇室の外戚となり、川鍋家はその縁戚となる。簡単に言えば、一朗氏のおばさんが皇室の外戚の安西家の人になっており、華麗なる閨閥というわけだ。そればかりか安西家と皇室外戚ということで、その閨閥ネットワークを見ると現総理を含む歴代の宰相や財界の主要どころが軒並み名を連ねていて、いわゆる先述の「閨閥」にいう「支配家系のネットワーク」が、裾野広く張り巡らされているのだった。

●新たなネットワークへ
 日本の政・財界を見渡すと、共通する傾向がある。それは、二代目、三代目などの世襲議員、世襲経営者が多いことである。何も政・財界だけでなくタクシー業界を見渡しても同様といえる。これは、一体なにを意味しているのだろうか。

 神一行著「閨閥」のプロローグ「日本は特権閨閥によって支配されている」の小見出しを列挙してみる。
 「能力主義から身分主義への逆行」、「「上流階級を結びつける閨閥の法則」、「驚くべき支配者家系の連結」、「名門の“ものさし”は天皇家との距離できまる」、「正田家を軸とする“現代の華族”たち」、「旧華族家は支配階層の“血の連鎖”の役目」、「閨閥・世襲議員に壟断(ろうだん)された政界」、「特定の家系が日本を支配している」、「財界にはびこる“世襲社長”」、「特権閨閥の弊害」

 ここから見えてくるものは、政・財界=支配階層を特定の閨閥が支配しているという構図である。そしてこの華麗なる閨閥に、一朗氏も連結しているのである。このことがなければ、三井住友銀行が約六百億円の特別清算を行なう大きな損失を被ってなお、一朗氏を日本交通の社長に就かせ、そして現在も三井住友銀行がメインバンクとして関わっている理由が、他に見当たらない。

 一朗氏は、自著「タクシー王子、東京を往く」で、「一時、周囲からは『もう会社の所有権は諦めたほうがいい』と言われたことがあったが・・・」として、あたかも所有権=支配権があるがごとくに記載している。が、しかし、本紙のこれまでの取材では、日本交通の支配権は一朗氏に無く、それはメインバンクが掌握しているという情報を得ているということのみ、ここでは言及しておく。

 そして一朗氏の華麗なる閨閥は、更に中曽根元総理、鹿島建設、トヨタ自動車、ヤナセ自動車などに連結する華麗なる閨閥を、自らの婚姻で更に強固にしていくのであった。この詳細は次号十月二十五日付第百三十二号へ続く。


【川鍋秋蔵氏年譜】









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