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おもしろくてお役にたつタクシー専門情報紙

T君の道草

毎月10日・25日発行

タクシー日本新聞社

編集長の道草

東日本大震災現地ルポ敢行②

◎震災報道

本紙ではこれまで、震災報道を心がけてきました。
振り返りますと本紙創刊が2004年(平成16年)2月でした。
その年の10月23日に新潟県中越地震が発生。
本紙では同年10月26日に現地入りし翌日帰京、
10月28日付けで
「新潟県中越地震 震度6強、断続的に余震 小千谷市3社は営業再開」
の見出しで号外を発行、全タク連事業者大会で出席者に配布しました。


そして、11月15日付けで現地ルポを掲載、さらに12月1日付けで
「立ち上がれ!団結小千谷」の見出しで中央タクシーの横田隆社長から
現地の復旧・復興の状況をインタビューしました。





そして翌年の2005年(平成17年)8月20日付けで
「臨時特集号 現地ルポ 地震発生10カ月 今なお癒えぬ傷痕」
「中越大震災! 突然失われた夢と希望 今も仮設住宅に九千人」
の見出しでその後を報道しました。

さらに同じ2005年(平成17年)1月15日付けで
阪神大震災が発生して10年目ということで
「戦慄の1・17 あの日を忘れない」の見出しで
特別号を発行しました。



内容は、神戸でタクシー事業を営むコスモグループの橘信一郎代表から
震災当時の自社ビルの倒壊写真などをお借りして
「瓦礫の中から這い出して」と題して当時を振り返っていただきました。
そのほかに、「全国からの暖かいご支援、お見舞いに感謝」と題して
兵庫県タクシー協会の松本奈良雄会長のインタビューや
同協会へのタクシー業界関係者らの献金額一覧表などを掲載いたしました。

さらに同じ年の2月に5年前の大噴火で全島民が避難した三宅島への
避難命令が解除されたことで5月15日付け
「現地レポート 負けるな三宅島!」の見出しの号外を発行しました。



阪神大震災、新潟県中越地震、三宅島火山大噴火などの自然災害について、
現地ルポや復旧、復興を取材したり、災害を振り返るメモリアル特集を行うなど、
震災報道に意識的に取り組んできました。
それには、いささかの訳があるのでした。

◎トラウマ1

その訳とは、次のようなことであります。

前職のT社在籍の話です。
平成7年1月17日午前5時46分に阪神大震災が発生しました。
その時はK社東京支局に在籍しており、
ちょうど千葉県松戸市内の国道4号線を、自動車で走行しておりました。
ラジオで神戸にて大きな地震があったというアナウンスがあり、
一人が死亡してけが人が出ているという内容でした。
そんなに大きな被害が出た感じを受けないまま、
7時前に千代田区神田神保町の事務所に出社し、
テレビをつけてビックリしました。

ヘリコプターからの映像で、神戸市長田区から煙が立ちのぼっているではありませんか。
ビックリして兵庫県尼崎市内にいる、筆者の両親の家に電話しました。
母親の話では、大変な地震でたんすが倒れてきたが、その隙間にいて父親共々助かったとか。
ガラスが割れたり家の中は大変だが、怪我は無い。
ブロック塀が倒れて家の壁にヒビが入っているが、倒壊などはしていない。
親父と一緒にぼちぼち片付けていくから心配するな、という内容でした。
まずは、ほっとした次第です。

そこで家にヒビが入った修繕費の一部として、
一定の金額をその日に銀行振り込みました。
そこまではよかったのですが、そのあと仕事が忙しいことにかこつけて
見舞いにいかなかったのでありました。
やはりお金だけではなく「大丈夫ですか」と現地に出向き
お見舞いに顔を出すべきだったとその後に大いに後悔した次第です。



◎トラウマ2

前職のT社に在籍していたとき、阪神大震災の「震災見舞い広告」を依頼して
業界から回収したことがあります。
このことにある読者が、
「震災見舞い広告料を徴収しようというのは、人の不幸で金儲けすることだ」
と担当記者がクレームを受けたことがありました。
これに対して、このクレームをつけた方になんとK社は紙面で反論したのでありました。

いま振り返るとT社は、阪神大震災の現場にいち早く入るでもなく
ただ交通機関の回復を待つばかりで、現地におもむくのも
かなり日がたってからだったと記憶しております。
そして震災見舞い広告料徴収の反論の一つに
「広告料の一部を義援金として寄付する」と公言してきたのでありますが、
兵庫県タクシー協会の献金一覧表には同業他社2社の名前はありましたが
T社の名前は無いのでした。
そのことをT社退社後に知るところとなりました。

過去のこういった成り行きの反省に立って、
まず震災報道には・出来るだけすみやかに対応し・現場での実情をこの目で確かめて伝えよう
と考えたものであります。

それは、ジャーナリストの使命といったものではなく、
過去の懺悔、罪滅ぼしの気持ちがそうさせていると思います。

そんな精神的背景があるとはいえ、やはり震災の現地、
現場に立つとテレビや新聞の報道から見えないものが見えてきます。

現地ルポで最初、タクシー車両や事業所の状況を探していましたが、
あまりの惨状、すべてが津波でなぎ倒され消滅した街を眼前にして、
タクシーやタクシー会社を目で追うことに、
意味を感じなくなっている自分に気づきました。

 現地ルポを終えたいまは、ただただ頭を垂れて
亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに
被災されている多くの方々に衷心よりお見舞い申し上げるのみであります。



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東日本大震災現地ルポ敢行 ①

3・11東日本大震災が発生!

本紙3月25日号の記事にするには現地に行く交通手段が無いことから、
宮城県仙台市内在住のタクシー業界関係者から写真の提供と現地手記の提供を受けて、
なんとか作成しました。

震災の悲惨さはテレビや新聞の報道で承知しておりましたが、
ことタクシー業界の実情が分からないのにイライラ。
唯一、国土交通省の災害情報により、
その被害の一端を知ることが出来ただけでした。

そして震災から2週間が経過し、
東北自動車道路が開通するということを聞いて、
現地ルポ取材の準備をしました。

結局3月31日(木曜日)に出発しましたが、
その行程をざっと振り返ります。



▽3月31日(木曜日)
7時30分  JR飯田橋駅前の小社事務所からトヨタヴォクシーで出発。
10時45分 福島県タクシー協会到着。須藤正彦専務理事にインタビュー。
11時25分 出発
12時30分 仙台市若林区の津波による被災地を取材。
14時40分 宮城県タクシー協会 佐々木最高顧問 千葉会長 今野専務らからイ    
       ンタビュー。
16時30分 仙台市の隣町である多賀城市内にある、振興タクシー多賀城営業所と、 
       多賀城交通の2社を訪問。




17時45分 多賀城市内を後に。仙台市内では宿泊できないので、ビジネスホテル 
       で宿泊できるところを探す。
19時30分 仙台市内にホテルは営業しておらず、一関市のビジネスホテルは満室。
       北上して岩手県北上市内のビジネスホテルに到着。
<31日の走行距離 650㌔ >


▽4月1日(金曜日)
8時30分    北上市内のビジネスホテルを出発。
10時00分  岩手県奥州市にある北都交通本社を訪問。小野岩手県タクシー協会会長インタビュー。
11時00分  出発。一路岩手県の被災した沿岸部に移動。
12時30分  遠野市内で昼食。自衛隊も多く駐屯しているのを見る。
13時30分  釜石市に到着、撮影開始。

その惨状を目の当たりにして、戦慄を覚えた。

16時00分  移動しながら陸前高田市を撮影、気仙沼市に到着後、取材と写真撮影。



取材後、一関市内のビジネスホテルに宿泊を予定していましたが、
気仙沼市内の悲惨な光景を見て、同行したカメラマンのM氏も
とうとう精神的に参ってしまったようです。

「これ以上は無理、取材続行不能」ということで、
とにかく帰京を決断しました。

▽4月2日(土曜日)
0時30分 なんとか帰京。JR飯田橋駅前の小社事務所到着。荷物などの搬入を済ませる。
1時00分 カメラマンM氏退社。その後、インターネットで災害情報や震災関係の最新情報をチェック。
      インタビュー関係での原稿作成前段のメモ作成等。
3時30分 退社。 
 
<4月1日・2日の走行距離 750㌔ >

*日付変更線を超えていたので、1泊3日となる現地取材を終えました。


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