編集長の道草
東日本大震災現地ルポ敢行 ①
3・11東日本大震災が発生!
本紙3月25日号の記事にするには現地に行く交通手段が無いことから、
宮城県仙台市内在住のタクシー業界関係者から写真の提供と現地手記の提供を受けて、
なんとか作成しました。
震災の悲惨さはテレビや新聞の報道で承知しておりましたが、
ことタクシー業界の実情が分からないのにイライラ。
唯一、国土交通省の災害情報により、
その被害の一端を知ることが出来ただけでした。
そして震災から2週間が経過し、
東北自動車道路が開通するということを聞いて、
現地ルポ取材の準備をしました。
結局3月31日(木曜日)に出発しましたが、
その行程をざっと振り返ります。

▽3月31日(木曜日)
7時30分 JR飯田橋駅前の小社事務所からトヨタヴォクシーで出発。
10時45分 福島県タクシー協会到着。須藤正彦専務理事にインタビュー。
11時25分 出発
12時30分 仙台市若林区の津波による被災地を取材。
14時40分 宮城県タクシー協会 佐々木最高顧問 千葉会長 今野専務らからイ
ンタビュー。
16時30分 仙台市の隣町である多賀城市内にある、振興タクシー多賀城営業所と、
多賀城交通の2社を訪問。


17時45分 多賀城市内を後に。仙台市内では宿泊できないので、ビジネスホテル
で宿泊できるところを探す。
19時30分 仙台市内にホテルは営業しておらず、一関市のビジネスホテルは満室。
北上して岩手県北上市内のビジネスホテルに到着。
<31日の走行距離 650㌔ >
▽4月1日(金曜日)
8時30分 北上市内のビジネスホテルを出発。
10時00分 岩手県奥州市にある北都交通本社を訪問。小野岩手県タクシー協会会長インタビュー。
11時00分 出発。一路岩手県の被災した沿岸部に移動。
12時30分 遠野市内で昼食。自衛隊も多く駐屯しているのを見る。
13時30分 釜石市に到着、撮影開始。

その惨状を目の当たりにして、戦慄を覚えた。
16時00分 移動しながら陸前高田市を撮影、気仙沼市に到着後、取材と写真撮影。

取材後、一関市内のビジネスホテルに宿泊を予定していましたが、
気仙沼市内の悲惨な光景を見て、同行したカメラマンのM氏も
とうとう精神的に参ってしまったようです。
「これ以上は無理、取材続行不能」ということで、
とにかく帰京を決断しました。
▽4月2日(土曜日)
0時30分 なんとか帰京。JR飯田橋駅前の小社事務所到着。荷物などの搬入を済ませる。
1時00分 カメラマンM氏退社。その後、インターネットで災害情報や震災関係の最新情報をチェック。
インタビュー関係での原稿作成前段のメモ作成等。
3時30分 退社。
<4月1日・2日の走行距離 750㌔ >
*日付変更線を超えていたので、1泊3日となる現地取材を終えました。
本紙3月25日号の記事にするには現地に行く交通手段が無いことから、
宮城県仙台市内在住のタクシー業界関係者から写真の提供と現地手記の提供を受けて、
なんとか作成しました。
震災の悲惨さはテレビや新聞の報道で承知しておりましたが、
ことタクシー業界の実情が分からないのにイライラ。
唯一、国土交通省の災害情報により、
その被害の一端を知ることが出来ただけでした。
そして震災から2週間が経過し、
東北自動車道路が開通するということを聞いて、
現地ルポ取材の準備をしました。
結局3月31日(木曜日)に出発しましたが、
その行程をざっと振り返ります。

▽3月31日(木曜日)
7時30分 JR飯田橋駅前の小社事務所からトヨタヴォクシーで出発。
10時45分 福島県タクシー協会到着。須藤正彦専務理事にインタビュー。
11時25分 出発
12時30分 仙台市若林区の津波による被災地を取材。
14時40分 宮城県タクシー協会 佐々木最高顧問 千葉会長 今野専務らからイ
ンタビュー。
16時30分 仙台市の隣町である多賀城市内にある、振興タクシー多賀城営業所と、
多賀城交通の2社を訪問。


17時45分 多賀城市内を後に。仙台市内では宿泊できないので、ビジネスホテル
で宿泊できるところを探す。
19時30分 仙台市内にホテルは営業しておらず、一関市のビジネスホテルは満室。
北上して岩手県北上市内のビジネスホテルに到着。
<31日の走行距離 650㌔ >
▽4月1日(金曜日)
8時30分 北上市内のビジネスホテルを出発。
10時00分 岩手県奥州市にある北都交通本社を訪問。小野岩手県タクシー協会会長インタビュー。
11時00分 出発。一路岩手県の被災した沿岸部に移動。
12時30分 遠野市内で昼食。自衛隊も多く駐屯しているのを見る。
13時30分 釜石市に到着、撮影開始。

その惨状を目の当たりにして、戦慄を覚えた。
16時00分 移動しながら陸前高田市を撮影、気仙沼市に到着後、取材と写真撮影。

取材後、一関市内のビジネスホテルに宿泊を予定していましたが、
気仙沼市内の悲惨な光景を見て、同行したカメラマンのM氏も
とうとう精神的に参ってしまったようです。
「これ以上は無理、取材続行不能」ということで、
とにかく帰京を決断しました。
▽4月2日(土曜日)
0時30分 なんとか帰京。JR飯田橋駅前の小社事務所到着。荷物などの搬入を済ませる。
1時00分 カメラマンM氏退社。その後、インターネットで災害情報や震災関係の最新情報をチェック。
インタビュー関係での原稿作成前段のメモ作成等。
3時30分 退社。
<4月1日・2日の走行距離 750㌔ >
*日付変更線を超えていたので、1泊3日となる現地取材を終えました。
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