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T君の道草

毎月10日・25日発行

タクシー日本新聞社

編集長の道草

連載特集:日本交通の栄光と挫折・川鍋一朗研究 No.2

見習いがいきなり飛行機の操縦桿を握る
資産・子会社売り尽くす怒涛の撤退作戦

【タクシージャパン No.127号(09.8.10日号)より転載】


前回は、齢二十九の川鍋一朗氏がコンサルタントから転身し、二〇〇〇年に日本交通入りしたところから稿を起した。

 本稿では、創業者で氏の祖父である故川鍋秋蔵氏により屹立した日本交通王国が、父の故達郎氏の時代に瓦解する。それを氏はどのように受け止めて、行動したのか。その結果、何を失い、何を得たのか。債務総額一千九百億円という数字が一人歩きしているが、実際の債務は、筆者の記憶からもそれを上回る金額だったのではなかったか。そしてその債務は一体、どのように処理されたのか。

氏が「怒涛の日々・・・」と振り返った、債務処理の全貌に迫る。(文責=高橋正信)


●入社後一年七か月
 川鍋一朗氏が日交マイクルをスタートさせて一年。取締役として日本交通入りしてから、一年七か月が経過した二〇〇一年の夏のことである。突然、故達朗社長ら経営幹部ともども、メインバンクに呼び出された。用件は、グループが抱える債務処理の返済計画だった。メインバンクは、故達郎氏ら経営陣に対してかなり強圧的だったといわれ、返済計画への返答に一週間の猶予すら与えなかった。すでにメインバンクの腹は固まっていたのだ。それを察知した故達朗社長は、「致し方ない」、他の役員も「(銀行に)あそこまでいわれたら・・・」と二つ返事で受け入れざるを得なかった。

 これに対して氏は、「まだ、一回目(の会議)なのに・・・」と寝耳に水で驚きを隠せなかったが、すぐにメインバンクが提示した債務返済計画を受け入れる以外に、現経営陣に残された選択肢がないことに気づく。「飛行機の操縦士も副操縦士も、完全にやる気を失って操縦桿から手を離してしまった。これまで後ろで見習いをしていた私が、いきなりそこで操縦桿を握ることになってしまった。どうやって動くのかも良く分からないで・・・」と自嘲ぎみに語る氏にとって、晴天の霹靂、怒涛の日々の幕開けとなるのであった。

●本社ビル売却が基点
 氏の著書「タクシー王子、東京を往く。」(文芸春秋社発行)によると、「一〇〇件以上の不動産や、三〇にも及ぶグループ会社の大半を売却。赤坂の一等地にあった本社自社ビルを売却し、祖父の代から親しんだ麻布の自宅さえ手放した」と記している。

氏のいう怒涛の日々は、都内港区赤坂の一等地にある自社所有の本社ビルを売却すると社内告知した、二〇〇一年八月一日を基点とする。

この本社ビルの写真をご覧いただきたい。隣が、本社ビルの三倍はあろうかというハイヤー営業所と車庫ビルだ。隣のハイヤー営業所ビルも本社ビルと一緒に売却したのである。その売却先が、オリックスであった。オーナーの宮内義彦氏は、時の小泉政権と深くかかわり、総理の諮問機関である総合規制改革会議の議長を務めた人物である。グローバルスタンダード、構造改革を声高に、産業界全般の規制緩和を推進した。同時に自社のオリックスがその規制緩和の先頭に立ち事業拡大を図ったことで、「現代の政商」と揶揄されることとなった。 

タクシー事業も宮内氏らによって、ご多分にもれず二〇〇二年に規制緩和され、業界は超供給過剰と運賃の値下げスパイラルに見舞われ、今日まで色を失い続けるのであった。一方でタクシー業界に追い打ちをかけるように、レンタカーを規制緩和して大々的な事業展開をしていった。日本交通の本社跡地に建設されたオリックスのビルを眺めていると、それらが想起され感慨深いものがある。

●一等地の自宅も売却

さらに都内港区元麻布にあった自宅だ。創業者故秋蔵氏が存命中は、年に一回恒例で都内業界幹部らを一堂に会して、自宅庭園でつつじを見る会が催されてきた。また、外務省を通じた外国の賓客を、日本家屋の良さを知ってもらうために自宅に招いた。そんなことが当たり前のようにできる敷地が、実に五〇〇〇坪の大邸宅であり、日本家屋の粋を極めたものであった。筆者も故秋蔵氏の通夜の折に訪れたことがあったが、門を入って母屋にたどり着くまでに、結構な距離を歩いた記憶と、素晴らしい庭園だったという印象が今も強く残っている。

氏も、「麻布にあった自宅も、ゴルフの会員権も、売れるものは何もかも売るという悲惨な状況に陥った。とても切なかった」と残念がったが、残念がるだけの価値のある邸宅であった。今でもこの界隈の土地は、坪五百万円~八百万円で売りに出されている。敷地が五千坪ということになると、ざっと二百五十億円から四百億円という、とんでもない金額になる。

とはいえこの自宅は、故秋蔵氏の時代にすでに相続税対策として、法人の所有になっていたようだ。一九八三年に亡くなった故秋蔵氏の相続財産が麻布税務署で公示され、取材した時に、その額が想像をはるかに下回る二十数億円ということで、目を疑って何度も告示板を眺めていたことを記憶している。

●これだけあった子会社
その他にもサテライトホテル後楽園と同ヨコハマ。私事だが横浜中華街付近にあったサテライトホテルヨコハマには、家族連れで宿泊したこともあった。ホテルといえば都内品川区・港区芝浦のJR田町駅近くで、一九九六年に総額百四十億円を投じた「特徴ある都市型高品位複合ホテル」としてニューサテライトホテル芝浦を竣工した。このホテルは、バブル期に建設計画が立案されたものであった。現在の林紀孝専務取締役が故達朗社長存命中の秘書課長時代に、このホテル建設計画を取材したことがある。

筆者が、「いまからホテルを建設しても採算が合うはずは無い」と指摘したところ、林氏は、「すでに計画は進行中で止められない。止めた場合、違約金が発生する」とのことだったが、重ねて「違約金が発生してもこれからの赤字を考えると計画を中止すべき」と忠言した。これに林氏は、「そうは言っても違約金が建設総額と同じだけかかるので中止できない」とのことだった。結局、このホテルは赤字を出し続け、竣工四年後の二〇〇〇年に日本航空に譲渡され、「ホテルJALシティ田町」へと衣替えするのだった。

その他に氏が指摘するように、自動車教習所や石油販売、さらにゴルフ場に不動産管理会社や年商百二十億円(二〇〇二年五月期)あったヘリコプター事業など、数え上げたら枚挙に暇がないぐらい、というよりも子会社すべてを売却ないし法的に清算した。
いま、日本交通グループと呼べるのは、別法人で日本交通小田原、同立川、同埼玉のタクシー事業三社と車両運行管理請負業の日交サービス、それにクルマ辺以外の日交データーサービスの計五社のみになった。(東洋交通は二〇〇七年に蔦交通は二〇〇八年にそれぞれ買収して経営傘下に収めている)

●返済は一千三百億円?
前号でも触れたように一千九百億円の債務は、氏が会社入りした一年七か月後の二〇〇一年七月に、メインバンクから提示された債務総額だった。

そして子会社や資産を売却して一千三百億円前後を返済し、そして六百億円前後を法的な特別清算でチャラにしたのである。ここに民間調査機関のニュースリリースの抜粋がある。

「(株)リバティーエステート(旧・(株)日交総本社、品川区八潮三-二-三十四、設立平成十四年五月、資本金六千三百八十万円、小野紘一清算人)は、二〇〇五年十一月三十日開催の株主総会で解散を決議、東京地裁に特別清算手続を申し立て、二〇〇六年一月十日開始決定された。負債は約三百九十七億円。同社はタクシー・ハイヤー大手の日本交通(株)(品川区)及び同グループが所有する不動産管理を目的に昭和五十九年に設立された旧・日交総本社を母体とし、日本交通を主たるテナントとして不動産管理業を展開。バブル期には所有不動産の再開発やホテルの経営など積極的な不動産投資を行った。しかし、バブル崩壊に伴う不動産市況低迷により多額の有利子負債が経営の重荷となり、二〇〇二年五月グループ内で業態の重なる日本交通グループ会社の日交興業(株)、(株)ナベックスと合併し、本社物件などの管理業務に特化する新たな(株)日交総本社として法人化されていた」

旧日交総本社が特別清算手続きを申し立てた二〇〇五年九月九日には、子会社で千葉夷隅ゴルフクラブと那須黒羽ゴルフクラブを運営する株式会社グリーンクラブが、東京地裁に民事再生手続き開始を申請して、保全命令を受けている。負債総額は、債権者三千五百四十四人に対して百二億一千三百万円。民事再生条件が、預託金の九五%カット、残り五%を五年間かけて均等分割払いするという厳しい内容だった。その後、同社は第三者に売却されている。

上記からうかがえるのは、メインバンクから提示された一千九百億円の債務は、もてる資産や子会社を処分しても賄えない債務超過の実態にあり、その部分を法的に処理したということのようだ。

●以前から資産を売却

氏の評価である、「一千九百億円の債務がある会社を、黒タクの導入や専用乗り場を設置して、経営改革を断行、利益の上がる会社にした」という文脈は、少し修正を加えなければならない。即ち、一千九百億円の債務は、氏が会社入りした一年七か月後の二〇〇一年七月時点の数字で、子会社や資産を売却したあと法的な清算、処理を行った金額ということになる。

メインバンクが債務返済計画を提示する以前から、資産売却は進められていた。その額は不明だが、多くの不動産を売却したのは想像に難くない。前述した「ニューサテライトホテル芝浦」もそうだが、その他にも次のような例があった。メインバンクの返済計画が提示される半年も前に、持分比率十二%ある山王パークタワーを三菱地所に売却しているが、売却代金が二百四十億円で持分比率から割り出すと二十八億八千万円になり、有力な資産にも手を加えてきていることが分かる。

「黒タクの導入や専用乗り場を設置して、経営改革を断行」したという。確かに役員や管理職の人員整理を行なったのは事実である。しかし、氏が、「利益の上がる会社にした」というのは事実に反する。にわかに信じられないだろうが、日本交通は氏が会社入りする前からも黒字を続けており、氏が会社入りしたのち、日交マイクルを立ち上げ整理し数億円の赤字を飲み込んで、なお黒字を継続してきたのである。恐るべしは、東京大手四社の底力だ。氏の経営手腕によって「利益の上がる会社にした」のではなく、「利益の上がる会社に氏が入った」に過ぎない。昨年来の大幅な売り上げの減少に見舞われて、ここからが本当の意味で利益の上がる会社にすることができるのか、という意味で氏の手腕が試されている。

「利益の上がる会社」の実態については、すでに紙幅がつきた。詳細を次回に譲りたい。










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