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T君の道草

毎月10日・25日発行

タクシー日本新聞社

編集長の道草

連載特集:日本交通の栄光と挫折・川鍋一朗研究 No.3

後世に徳を残す。では、前世と現世は?
社長就任の翌春には六本木ヒルズ族入り

【タクシージャパン No.128号(09.8.25日号)より転載】

前回は、川鍋一朗氏が二〇〇〇年に日本交通入りする以前から資産や子会社を売却して、債務圧縮が進められてきたことに言及した。

本稿では、入社する以前に、氏はすでにそのことを察知していて、「不調の予兆を」感じていたこと。そして氏は、「一千九百億円の債務がある会社を、経営改革を断行して利益の上がる会社にした」との文脈で、一般マスコミに数多く露出してきた。しかし、それは事実に反すること。氏が、「利益の上がる会社にした」のではなく、「利益の上がる会社に」氏が入ったのが実態であったことを明らかにしたい。
筆者はなぜ、そのことにこだわるのか。それは、氏が会社入りして、「利益の上がる会社にした」ことと「利益の上がっている会社に」氏が入社したというのでは、氏の経営者としての評価が大きく異なるからに他ならない。

それはともかく、故達朗氏の時代に惹起したバブル投資の失敗による膨大な債務を抱えてなお、日本交通が消滅せずに存続し得たのは、ハイヤー・タクシーという本業での強固な地盤が確立されていたからではなかったか。ひるがえって創業者故秋蔵氏の功績、遺徳あっての今日の氏であり、日本交通といえよう。(文責=高橋正信)


●非常にコンサバティブ
 それは、日本交通入りする前年の一九九九年であった。川鍋一朗氏が勤務している経営コンサルタント会社であるマッキンゼーの先輩から、一枚の新聞記事を見せられた。内容は、野村証券グループが出資する投資ファンドのJAFCOを使って、日本交通の関連会社をMBO(マネジメント・バイ・アウト)する、というものだった。MBOとは、企業の合併・買収(M&A)手法の一つで、商権や従業員の雇用を守り、企業が子会社を手放すときに活用する手法である。

 氏はこの新聞記事を見て、「うちの会社は非常にコンサバティブ(保守的)なので、よほどのピンチにならないとそんなことはしない」とピンときた。不調の予兆を感じた瞬間だった。同時に、経営変革への気分も沸いて日本交通入りするのか、しないのかで逡巡するのだが、結局、氏は日本交通入りするのだった。

 「いつか日本交通の社長になると思っていた。というか、そう思い込まされる雰囲気が作られていた。他に興味が行くこともなく、ビジネススクールやマッキンゼーに行ったのも、日本交通に入るためだった」

 あるインタビューでそう振り返っている。一方、本連載企画第一回では、「コ
ンサルタントとして生計を立てられるとは思えず」に日本交通入りしたと紹介した。この二つのコメントは矛盾する。が、しかし、そこには、二十九歳の青年の揺れる思いが見て取れる。

●入社の二年前から黒字

 
いよいよ本題に入る。
 氏が日本交通入りしたのが二〇〇〇年。その時期に充当するのは、第八四期決算(一九九九年六月~二〇〇〇年五月期)である。結果は、売上三百七十二億七千五百万円で経常利益一億五千五百万円、当期利益も同額で黒字を計上していた。氏は、この期の途中に入社し、しかも「一年間、完全に干された」状態。当然、決算に影響、関与していない。

そして、日本交通単体の経営収支が赤字から黒字に転化したのは、氏が入社する前年の第八十三期(一九九八年六月~一九九九五月期)に端を発しているのである。氏が入社する二年前から日本交通は、バブル投資のツケを特別損失として計上しながらも、単体の決算で黒字に転化させている。
 そして第八十五期(二〇〇〇年六月~二〇〇一年五月期)は、氏が日交マイクルの事業を開始した二〇〇〇年七月と時を同じくしている。日交マイクルは、毎月一千万円の赤字を垂れ流していくのだが、この期の決算では当期利益一億九千八百八十九万円を計上している。

 さらにメインバンクから債務返済計画を突きつけられた(二〇〇一年七月)第八十六期(二〇〇一年六月~二〇〇二年五月期)でも、当期利益三千六百万円を確保している。第八十七期(二〇〇二年六月~二〇〇三年五月期)の当期利益は四千四百六十九万円。結局、採算割れを続けて立ち上がらないままの事業として、日交マイクルを日本交通本体に吸収させた第八十八期(二〇〇三年六月~二〇〇四年五月期)の当期利益は、三億九千七百十六万円である。

 その翌年の二〇〇五年八月に氏は日本交通の社長に就任するのである。その第八十九期(二〇〇四年六月~二〇〇五年五月期)の決算内容につき氏は、「税引き前で十一億円の利益を計上できた」と胸を張ってコメントしている。(当期利益は五億八千七百十六万円)

 上記のとおり、日本交通は一九九八年六月から黒字を継続している。その途中には、本欄第一回で「ベンチャー企業の社長だったら十回は首になっています」と、氏が述懐した日交マイクルの数億円の累積赤字が処理されてなお、黒字を確保し続けているのである。

●百人のリストラ
 第八十六期(二〇〇一年六月~)にメインバンクから突きつけられた債務返済計画を遂行する中で、百人の役職・管理者を馘首した。その当時のことを氏は次のように語る。

 「私がやるしかないと覚悟して、リストラをしました。百人リストラしたうち、五十人は私自身が面接して首を切りました。でもリーダーの心構えとして、やらざるを得ないし、やるしかありませんでした。年収五百万円程度で二十年以上働いた人が職を失うのは、年収二千万円の人の給与を一千万円にするのとは重みが違います。個人個人のことを考えたら、体が持ちません。とにかく一生懸命やってきた」

 確かに日本交通を生活の基盤として、長年働いてきた役職・管理者を馘首するのは、心情として忍びないことであったろうことは、想像に難くない。が、しかし、それ以上に馘首される側はより深刻であったろう。当時を知る元管理職のA氏は、「当時の社内の空気はぴりぴりしていて、殺気立っていた感じです。ある幹部の送別会の席上で、酔ったその送別される方が、出席していた川鍋一朗氏に面と向かって罵声を浴びせかけたのを見たことがある。それは強烈な罵詈雑言であった」と語っていた。

 氏が、「個人個人のことを考えたら体が持ちません」というのは実感であろうし、日本交通が生き残れるかどうかの正念場であり、修羅場であったといえる。

 とはいえ、氏がいう百人のリストラは、百人×年収五百万円=年間五億円の経費削減効果を生む。これは直接経費といえ、その他の経費を総合するとさらに削減効果は増大すると考えられる。社長就任後の決算で「税引き後で十一億円の利益を・・・」と胸を張ってコメントしている過半の利益は、百人に及ぶ馘首された血の犠牲によって計上されたものであることを、忘れてはいけない。

 さらにいえば、馘首された百人の役職・管理者にしてみれば、日交マイクルの失敗による数億円の損失を惹起した氏こそ、百人の役職・管理者をリストラする前に馘首されるべきだと言いたいであろう。そうはならずに氏が、日本交通の社長として存在し得たのは、とりもなおさず氏が創業者故秋蔵氏の孫であったこと以外に、その理由は見当たらない。

●六本木ヒルズ族入り
二〇〇五年は氏にとって特別の年となった。
前年に日交マイクルを本体に経営統合し、一般ハイヤー・タクシー部門に吸収した。そして二〇〇五年には、前述したように日交総本社やグリーンクラブを法的整理している。この年に氏は、バブル期の負の遺産の処理終結を宣言している。同時に四月には、東洋交通を皮切りに他資本との業務提携を開始し、矢継ぎ早に提携先を拡大していくのであった。資産、子会社の売り尽くし清算、百人に及ぶリストラなどネガティブ要因の処理を終えたことで、いわば反転攻勢に打って出ようとしたことが見て取れる。

この時に打ち出したのが提携会社十社、グループ全体でタクシー五千台保有をめざす五か年構想であり、エクセレントカンパニー(超優良企業)宣言であった。その狙いは、ズバリ業界をリードする盟主の地位に、復権を果たすことに他ならない。

そして八月三十日に氏は、日本交通の第三代社長に就任する。氏に社長を譲った父親の故達朗氏は、それを見届けるように翌三十一日未明、下咽頭がんで死去。享年六十七歳だった。父親について氏は、「経営者としては、先代の路線を引き継ぎ、グループの拡張を続け、不動産などにも投資をしていくことになる。それが会社の危機を引き起こすことにつながるのだが、バブルという時代背景のことを考えれば、一概に責めることはできない」と自著でかばっている。一方で入社当時を振り返って、「こんな会社に誰がした。最終的には父親に責任がある、と思った」と正直な心情も公にしたことがあった。

それはともかく、心機一転、住まいを都内港区の高級賃貸マンションのアークタワーズから、六本木ヒルズレジデンスD棟に移転することにして、翌春に晴れてヒルズ族の仲間入りをしている。

●シャゼ・シャクン

氏は社長就任に伴って、会社の社是・社訓を策定している。

 社是「徳を残そう」
 桜にN、日本交通に集う私達は、誇りを持って働き、高い業績を上げ、物心両面の幸せを実現して更に誇りを持って働き、以って仕事を通して後世に「徳」を残すことを、その経営理念といたします。

 社訓「エクセレントカンパニー宣言」
一、 エクセレントカンパニー、品格の高い超優良企業を目指します。
一、 お客様第一主義を貫き、安全・遵法・品質・環境を究めます。
一、 正しいやり方で、長期的に、利益の絶対額を最大化します。
一、 日交のプライドを胸に、全員一丸となって横綱相撲で勝負します。
一、 桜にN、圧倒的なNO.一ブランドとして、リーダーシップを発揮します。

 まず、社是の説明文章を何回も読み返した。ワンセンテンスに「誇りを持って働き」が二回も出てくるのはご愛嬌としても、「徳」という文字の意味は深い。辞書をひも解くと次のように解説してあった。①道をさとった立派な行為②善い行いをする性格、身につけた品性③人を感化する人格の力。めぐみ。神仏の加護④(得の通用字として)利益、もうけ、富―とある。「会社の経営上の方針、主張。または、それを表す言葉」が社是ということであれば、この社是の主張の意味するところは深い。 少なくとも「得」の通用字としての「徳」ではなさそうである。

 社訓のエクセレントカンパニーの意味は、ズバリ超優良企業。それに品格の高さが加わる。この社訓は一言で、「顧客第一主義で品格の高い超優良企業として利益の絶対額の最大化を図り、業界ナンバーワンをめざす」と表現している。少々、欲張りでハイテンションなのは、きっと資産・会社整理、リストラと続いたネガティブ対応から解き放たれたためなのであろう。

●故達朗氏のこと
 氏が言うところのエクセレントカンパニー=超優良企業の具現者は、他ならない創業者故秋蔵氏である。裸一貫で埼玉県宮原村を後にして、一代で日本を代表する日本交通グループを築き上げた。その長男が故達朗氏だ。氏が父故達朗氏を評して、「人間的には優しく、気さくで、すべての人を平等に扱ったそうだ。林専務などは父に怒られた記憶がない」と語っている。

 筆者も故秋蔵氏が死去した後、赤坂の旧本社社長室で社長に就任した故達朗氏に面談する機会を得たときの印象は、ほぼ同じである。威張ったそぶりは微塵も無く、むしろリーディングカンパニーのトップとは思えないほどの物腰の低さ。そして忘れられないのが次の言葉だった。

 「広く意見を聞いて民主的な経営を心がけたい」

 おそらく故秋蔵氏が超ワンマンだったために、その弊害を感じていた反動で、「民主的な経営」という言葉が出たものと、その当時は理解した。この「民主的な経営」も、「ホワイトカラーからの評判はとてもよかったのだが、ちょっとシャイな一面もあって、営業所に顔を出して話しをするようなことはほとんどしなかったから、運転手たちからの人気はいまひとつだった」と氏が振り返っている。

 また、氏が「バブルという時代背景のことを・・・」と故達朗氏の経営責任をかばっているのだが、確かに当時の銀行や銀行と結託した建設業者らの口車は、犯罪行為に近いといえる。だとしても故達朗氏の人の良さがあだになって、これらのバブルに群がる亡者の口車に乗ったのだとしても、その責任は免れられるものではない。結果的にそのツケは氏に払わされることになった。

 イッツ エクセレント それは、創業者故秋蔵氏。




氏が取り組もうとしているのは、故秋蔵氏が築きあげた日本交通王国の再興である。その意味では、二〇〇五年は氏にとって第二次創業に取り組もうとする、その気分の高ぶりと意気込みが鮮明に垣間見える。

次号では、日本交通王国が故秋蔵氏によってどのように事業として立ち上げられ、そして業界内で確固とした地歩を固めていったか、故秋蔵氏の出自からその経緯を振り返る。


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